夢 は ひ そ か に Oo

キラキラ輝くアイドルが好き

銀木犀

 

 

 

私の家の庭には大きな銀木犀の木がある。

 

 

 

金木犀はよく聞くけど、銀木犀はあまり馴染みがないかもしれない。

金木犀は黄色い花を咲かせるが、銀木犀は白い可愛い花を咲かせる。匂いも金木犀より控えめで優しい甘い匂いがする。

 

9月も半ばに差し掛かると毎年優しい匂いを漂わせる。

今年も綺麗な花が咲きました。

 

銀木犀の匂いが漂ってくると毎年思うことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の祖父は農家をやっていた。田舎によくいる農家のおっちゃんって風貌の。麦わら帽子をかぶり長靴を履いて、腕も顔も日焼けで赤くなり、毎日一輪車で農作物を運び、田舎のベンツという代名詞を持った軽トラに乗り、仕事が終わると晩酌セットに囲まれていた。

 

そんな田舎の農家のおっちゃんな祖父だが、私が生まれたとき庭の銀木犀を母の病室に持ってきてくれた。そんな洒落たこともしてくれた。

 

私の家は敷地内に2軒家が建っている。私一家の家と祖父母の家が並んでいる。小さいときから祖父母の家を自由に行き来して遊んでもらっていた。

 

祖父は笑うと目が垂れ下がりとても優しい顔をしている。いつもニコニコの笑顔でいた。言葉は田舎特有の雑さがあったけど、私に沢山良くしてくれた。私が3歳の時に家の階段から転がり落ちたときも、自分の家からすぐに駆け付けて心配してくれた。

 

 

そんな祖父が大好きだった。

5歳の冬、祖父は脳出血で倒れた。そこから何度か脳梗塞脳出血を繰り返し病院での生活が続いた。病院に行くと、ニコニコ笑顔の祖父とは別人だった。5歳の私は恐怖を感じた。私の知っているじいちゃんじゃない・・・。

 

7月23日

5歳の夏。祖父は天国へ旅立った。兄も姉も泣いていた。5歳の私は人の死を理解しきれていなかった。でも悲しいことだってことはわかった。お葬式の時、沢山の大人に囲まれながら小さい私は泣いていたこと、今でも清明に覚えている。大好きなじいちゃんにもう会えないんだ。

 

 

 

祖父が亡くなってから、祖母はずっと一人で生活してきた。小学校の教員として働いていた祖母。8人兄弟の2番目。昔からとてもしっかりしている人だった。時間を無駄にしない。読書が大好きで勉強家。私が小学生の頃は、夏休みの宿題を一緒にやってくれた。仕事で帰りが遅い両親を待っている間は、祖母の家で一緒に詩をかいたり縫物を教わったりした。

 

いつも時間を有効に活用し、趣味や地域活動にも積極的に参加していた祖母。夏の暑いときも、冬の寒いときも庭にでて祖父が管理していた農作物を管理していた。

 

 

2年前の7月

毎日、庭にでて農作物の手入れや草むしりを怠らなかった祖母の姿がない。母に聞くと、「ばあちゃん、なんだか調子悪くて食欲ないんだって」と言われた。

心配になり祖母の家に行くと、ベッドの上で横になっていた。「ばあちゃん大丈夫?」と聞くと、いつもと違う弱気な祖母がいた。父の促しで病院へかかることになった。何度か検査を行うが、なかなか原因がわからなかった。その期間も、祖母は食欲がなく、嘔吐したりしていた。

 

8月9日

夜勤から帰ってきてシャワーを浴び昼食を食べようとした。病院から帰ってきた父は私に言った。

 

「ばあちゃん癌なんだって」

 

 

頭が真っ白になった。医療従事者じゃなくてもわかる。癌と聞いて冷静でいられる人はいない。精査をしても部位は特定できず、でも、腺癌という分類の癌だということはわかった。

 

入院した祖母。仕事が休みの日はなるべく病院へ通った。毎日暇さえあれば読書や書き物をしていた祖母。あんなに元気だった祖母の面影はなく、言葉数も減り一日のほとんどをベッドで横になり過ごしていた。食欲もなく食事もあまり摂取できず。頬はどんどん痩せていった。

 

9月に入り祖母は緩和ケア病棟に移動になった。

どんどん弱っていく祖母を見ることは辛かった。でもきっと残された時間はそう長くないことはわかっていたから、お見舞いに通った。体のマッサージをしボディークリームを塗るのが日課だった。

 

9月の中旬

病室に入ると新しい点滴が始まっていた。モルヒネだ。

心拍数が上がった。モルヒネを使いだしたということはいつどうなってもおかしくないなと思った。

 

9月21日

この日は私の誕生日。出かける前に病院によって祖母の顔を見ていこうと思い面会に行った。病室に入ると看護師さんに清拭をしてもらったところだった。看護師さんに「いい人が来ましたよ」と言われた祖母は私の顔を見て、「あー、孫だね」と、か細い声で返事する。おはようと声をかけると「お誕生日おめでとう」と今にも消えてしまいそうなか細い声だけど、しっかりと聞き取れた。覚えていてくれていたこと、とってもうれしかった。ありがとうと必死に涙をこらえ返事するが、祖母はまた眠ってしまった。これが私と祖母の最後の会話になった。

 

9月22日

夕方、病院から連絡が入った。急いで病院へ駆けつける。「ばあちゃん!」声をかけても静かに眠って返事はなかった。父が一生懸命話かけ、うんと微かに頷くことが精一杯だった。脚の浮腫みは進み末梢は冷たかった。「明日、足浴の準備してくれから楽しみにしていてね」と祖母に声をかけ私と母は帰宅した。その日は父が泊まって付き添うことになった。父親を亡くし母親もこの状態で父はどんな思いで一夜を共に過ごしたのか考えると胸が苦しくなる。

 

9月23日

足浴の準備を家でしている時に病院から連絡が入った。血圧が下がってきていると。母と急いで病院に駆けつける。部屋に入ると祖母は静かに眠っていた。まだ体は温かいのに心臓は動いていないんだもんね。不思議。約束していた足浴間に合わなくてごめんね。祖母は天国へ旅立った。祖父が亡くなり17年間一人で生きてきた。天国でじいちゃんと久しぶりに一緒に暮らせるね。もう寂しくないよね。

 

 

 

癌とわかってから45日間。あっという間の日々でした。いつかは来る別れだけど、自分の祖父母はいつまでも元気でいるものだと思っていたから、こんなに早くお別れすることになるなんて思わなかった。

きちんとしたじいちゃん・ばあちゃん孝行ができなかったことがきっと一生心残りです。ごめんね。

 

 

私は看護師として働いています。看護師になりたいと思い始めたころから、私はじいちゃんのような病気の方の看護がしたいと思っていた。その思いは一度も揺るがず、今も脳外科・脳神経内科で働いている。私が今こうやって自分の希望通りの仕事をやれているのは、じいちゃんの存在のお陰です。

教師として生徒のために、人のために尽くし、沢山の人に慕われ、人生を全うしたばあちゃんの生き方はほんとうにかっこいいです。私も、恥じない生き方をして1分1秒とも無駄にしないよう大切に毎日を生きていけるように頑張ります。

 

 

 

祖母は庭の銀木犀が好きでした。棺桶には沢山の銀木犀をいれました。

ばあちゃんが好きなものに囲まれ天国へ行けてよかった。じいちゃんも自分が育てた銀木犀をばあちゃんが気に入ってくれてきっと喜んでると思うよ。

 

 

銀木犀には祖父母との沢山の思い出が込められています。

大好きな優しい匂い。だけど、毎年この匂いをかぐと涙を流している。

 

 

 

 

 

 

 

天国のじいちゃん、ばあちゃんお元気ですか?

 

私は25歳になりました。

 

今年も庭の銀木犀は花を咲かせ良い匂いを漂わせています。

もし時間があったら、匂いをかぎにきてください。待ってるからね。